2009-04-06

ほっと一息。画像編

最初に撮った流木たち



骨のように散乱する流木





橋脚の下の流木



水に浮かべてみる












骨組織(?



2009-04-05

ほっと一息。

やっとイースター休暇に突入。休暇に入る前は死ぬほど忙しかった・・・
毎日の授業に加え、前学期の残っている試験、歴史的建築物の分析、スケッチ等の提出、手描きトレースやCAD演習の提出、設計授業の第一回プレゼン準備などなどなど。

例の、水に浮かぶ立体物を作るという設計の授業は、一個目の模型を作る段階に突入。休暇明けにはまた何個かの模型を提出しなければならない。

この授業は2つの部分に分かれていて、水曜はプレゼンの方法、PhotoshopやIllustlatorの操作方法、模型の作り方などをグループごとに学習したり、著名な建築家のドキュメンタリーフィルムを鑑賞したりする。木曜は実践的に写真やスケッチ、模型などの作品評価やプレゼンが行われる。

これまでの木曜の授業の流れはこんな感じ。
まず最初の授業での課題は水に浮かぶ「何か」を写真で撮影すること。
その次の授業ではその写真をもとに自分がどんなものを作りたいかをチューターと話し合う。
皆が撮影して来たものは花、葉、画鋲、氷、傘、皿、コップ、瓶、カゴなどなどなど。ちなみに私は流木だ。

ここでは撮影してきた物の形だけに注目するのではなく、その機能や役割、動きなどに注目しつつ、もういちど撮影したりスケッチしたりして、次に模型で表現する「かたち」を決定していく。

スケッチでは写真そのもの、またはそれを極端に拡大・縮小したり、モノクロにしたものをトレースしたり、またはその写真から連想した物を再びネットで探したりしてイメージを膨らませていく。

例えば氷を撮影して来た学生にはチューターは以下のようなアドバイス、提案をしていた。
まずその氷が溶けていく様を分析し、そしてそれを時間を追って撮影してみる。その際に、水温を様々に設定してみたり、氷やそれを浮かべる水の色を変えてみたりする。また水に浮いている氷に力を加え、そのときにどのような動きをするかを観察し、その都度写真に収めてみる。

また画鋲を逆さに浮かべたものを撮影した学生にはそれがどうしてその状態で静止できるのかを分析することと、それを他の材料でどのように再現するかを検討する事を提案してたり、湖に投げ入れた木の棒を撮影して来た学生にはその木の棒を「投げる」という行為とその一連の動きに注目してその様子を動画に納め、その動画を静止画像にしてそこからスケッチを進めるようアドバイスしていた。

ちなみに流木をテーマにした私が受けたアドバイスは以下のようなものだ。
わたしがその流木を選んだのはそれが水に容易に浮く事と、かたちがいつも偶然で、一つの流木でも様々な表情を持っていて面白いとおもったからだ。まずチューターはわたしが引き続き流木をテーマにして写真やスケッチを進めることをアドバイス。その際に、単に一つの流木に注目するのではなく、さまざまな流木を集め、またそれが多く集まっているところ、また、橋脚のたもとに他のゴミなどと一緒に偶然に集まっている流木を撮影してみる事を提案してくれた。テーマは「流木」と「偶然」といったところか。

とにかくこの段階では、ひとつのかたちに固執するのではなく、そこから様々な事を連想し、写真やスケッチにしていくことが重要なのだと認識し、とりあえずネットで画像検索してみたり、また流木を集めにいったりした。

橋脚の下に集まった流木や、岸辺に打ち上げられた沢山の流木を発見し、興奮気味に撮影。とりあえずそれをもとにスケッチし、その次の授業で写真とスケッチをもとに再びチューターと相談。様々な流木を集めて組み合わせる事、またそれを「偶然」のように、必然的に重ね合わせてみる事、また模型製作の際は、流木同士を結んだり、接着したりするのではなく、「組む」という制作方法をとってみては?とアドバイスされた。その次の授業では、小さな模型と、写真、スケッチなどをパネル展示し、簡単なプレゼンをすることになり、それの準備にとりかかった。

岸辺に集まっている流木のはどちらかというと平面的で、橋脚の下の物は小山のように立体的。模型は山のような形、というイメージがまず浮かんだ。また岸辺の流木はかなり大量で、まるで骨が集まっているように見えた。そこでネットで「骨」を検索。実際人骨が積み上げられている画像などもあったのだが、それよりも面白いと思ったのは、骨粗鬆症の骨の組織をCG化した画像。網のように曲面を構成し、更に全体としては山のような形をしている。一目で気に入り、これをイメージして、早速集めた流木で模型作製。とりあえず土台となる部分を安定するように組み合わせて、あとは小枝を折って、針金でつないでいく。気分は Andy Goldsworthy (違

プレゼンの際はどきどきもので、というのも、他の子たちは割と物理的な分析、考察に力を入れて、また様々な素材で模型を作っていたので、自分のあまりにも即興的な模型が適当すぎるのではないかと思ったからだ。第一最初から「木」をテーマにしてしまって良いのか、という疑問があった。しかしチューターたちはなぜか模型もコンセプトにも好反応。「あなたは最初から木で作っているから、1ステップ進んでるわね!」とのこと。更にわたしが既に水に浮かべてみて浮かんだ事を報告すると「Super!」・・・。次の段階では、流木だけでなく、さまざまな木素材を使って小さな模型を沢山作る事をアドバイスされた。がんばろ。

2009-03-29

SOMMERZEIT



今日から夏時間。7時でもまだ明るい。

画像は先週流木を拾いに散歩しにいったときのもの。
なんだか寒々しいけれど、この景色には心洗われる。

2009-03-19

新表現主義とジェフ・クーンズ

美術史、理論についてはまったくの素人なので、学問的に正確な事はちょっと置いておいて、最近考えた事を少し。

最近美術史の勉強で、アメリカの新表現主義について調べものをしているときに、ふと、Cultural Studies の導入授業のことを思い出した。Cultural Studies という学問を説明するのに引き合いに出されたのが ジェフ・クーンズだった。これは恐らく教授オリジナルの論調なのだとおもうが、いろいろな点でCultural Studiesとジェフ・クーンズを比較対照してこの学問の位置づけを試みるというものだった。

クーンズは現役で活躍しているアーティストの中では、一、二の高値がつくアーティストなのだが(最近その地位は確固たるものになりつつあるものの)、未だにその作品は賛否両論であり、そして批判されるときはもっぱら「低俗だ」という論調においてである。Cultural Studiesもそれに似たところがあって、要は「そんなのは学問じゃない」という批判があり、それはやはりCultural Studiesが(大衆による)大衆の文化を対象とした学問で「低俗」だからである。「そんなの芸術じゃない」という言葉と「そんなの学問じゃない」という言葉が用いられるときのその背後にある含蓄は確かにかなり似ていることが多い気がする。そして要は、Cultural Studies においてのバナリティー批判がクーンズに向けられるそれと同様であり、そしてクーンズのアートがますます重要性を増し、認められ、高値で取引されているという現状をふまえて、Cultural Studies という学問の行く末を暗示したい、というような狙いがこの教授にはあり、これを導入の講義としたのだろう(もちろんそんなふうに結論づけるような野暮な事は彼はしなかったのだが)。

そのときはそれだけで「ふーん」という感じだったのだが、なぜその「バナリティー批判」が無視され得る、または克服され得るものなのか、ということまでは考えなかった。ところが先日、ドナルド・ジャッド批評についての文章の中で、彼が80年代、主に新表現主義の画家に向けて行った以下のような批評を目にした。「過去五十年に渡り、新たに登場するアートの質は常に低下してきた・・・一流のアーティストと呼べる者は殆どひとりとしていないのである・・・」確かに新表現主義作品は、元来のアート批評の観点からすれば「質の低い」ものである。しかしそれは言ってみれば意図的になされたものであり、元来のアートとは違う次元の「なにか」をしようとした痕跡以外の何ものでもない。そしてそういう意味に於いては新表現主義というのはかなりそれをうまくやってのけた領域と言えるようだ(この辺りの正確な事については知識不足)。要は彼らがなし得たものは本来、これまでと同じ観点、同じ物差しで評価され得ないものなのだ。そしてもしそう評価されることがあるとしたら、そこでの高評価は彼らにとっての成功を意味しない。なぜならそう評価された時点で、元来のアートと同じ枠にはまってしまう事になるかもしれないからだ。例えば新表現主義においては、これまでそれなしではアートを成立させる要素と思われていたものをいくつも放棄して、その概念を覆し、またその価値基準も覆す事が試みられた。そしてそう言う意味においては、ジャッドに「質が低い」と評価されたことはその試みの成功を意味し得る。

これと同じ事がジェフクーンズやCultural Studiesに関しても言えるのではないか、とふと思ったのだ。ようは今までとは次元が違うもの、またはその試みなのである。観点も、価値基準も違う。だから評価もされようが無いのである。

理解されがたい事、目新しい事を目指す風潮の裏には大概、現状を打破したい、という思惑があるのが常である。しかしこのことは、単に目新しいだけのものが評価される、ということを意味しない。クーンズにしろ、Cultural Studies にしろ、新表現主義にしろ、そこには人々に支持され(または批判され)る「裏付け」がある。

・・・と、ここまで書いて、なんだかかなり凡庸な事を書いているだけな気がして来た。もはやクーンズも、新表現主義も「現代芸術史」の授業に登場し、学生に勉強され、暗記される対象なのである。結局みんな歴史の一部となっていく・・・いや、その歴史の一部になる事に意味があるのかもしれない・・・

2009-03-18

トリビア

Walter de Maria は The Velvet Underground のドラマーだったことがある・・・へぇへぇへぇ〜〜〜!

ってこれは有名な話なのか?

というか、天は二物を与えないとか、ほんと嘘だと思う。
いろいろやりすぎ!

でもHigh Energy Bar には興味があるし、Lighting Field も行ってみたい。学割で100ドルらしい(笑

2009-03-14

苦悩(26日投稿)の結果











2009-03-13

ははーん





例の第14希望 ENTWERFEN の初回授業があった。最初は全く興味がなかったが、話を聞いてちょっとやる気に。テーマは「飛べない者は泳げ」ということで、水に浮かぶオブジェクトを作るらしい(画像はこのグループのもの。)素材は木で、最終的にはボーデン湖に浮かべることが目標。かなり大きなものを作ることになるので、ちょっとたのしみだ。オーストリアでもトップの製材会社の協力のもとプロジェクトが進行するとのことで、木を扱うのも勉強になるとおもう。今週の課題は、水に浮かんでいる"何か"を写真に撮ること。創造力を掻立てられるようなものでそれについてディスカッションができるような写真を撮らなければならないのだが・・・どうしよう。

で、話は逸れるが、そのグループで一緒の友達とENTWERFENの抽選についての話をしていたら、彼女の友達はわたしの第14希望のグループが第1希望だったのにも拘らず、第6希望になってしまったらしい。変だよね〜と話していて、「で、どこになったの?」と聞いたら・・・なんと私の第1希望のグループ・・・「えええええええええ!!」と二人で驚いていた。もちろん交換する事もできるとはおもうが、とりあえずわたしは運命を信じてこのグループでやることにした。それにしてもこの抽選のシステムには重大な瑕疵がありそうだ・・・ということで責任者にメールを書いておきました。次回もこのシステムが採用されたらたまったもんじゃないからね!

昨日は今日が締め切りの課題に追われていたのにも拘らず、ある授業の関係で夜講演を聴きにいかなければならなかった。講演者はRuedi Baur。恥ずかしながら名前もしらなかった・・・かなり有名な人らしい。彼の事務所のHPもなかなか良い感じ。ちょっと見にくいけど。。で、もともと彼はグラフィックデザイナーなんだけれども、最近は建築家、ランドスケープデザイナー(?)、都市計画家などと共にプロジェクトを行っているらしい。中でも印象的だったプロジェクトはリヤド(だったと思うのだが・・・)の都市計画でのもの。地元の伝統的な素材や色、かたちを使った試み、アラブ文字を生かしたタイポグラフィーなどどれも新鮮で印象的だった。ググったのだけれど残念ながらまだネット上にはほとんど情報が流れていない様子。プロジェクトの段階だから当たり前か・・・

そんなこんなで2時間ほど講演を聴き、途中で抜け出してまた課題に取り組んだものの、結局朝の6時までかかったのでした・・・

眠い。